魅力的な神話
易経の原典は一つだけ存在するのでしょうか?答えは「いいえ」です。その全貌は三千年にわたる歴史の積み重ねです。
易経は一人の著者による書物ではありません。むしろ、中国の歴史を流れる知恵の大河であり、多くの思想の流れが合流してきたものです。
その流れは古代の占いの印から始まり、基本的な判断や爻辞が加わり、さらに深い哲学的解釈が付け加えられてきました。私たちが手にする易経は、この大河のある重要な時点での一枚のスナップショットに過ぎません。
では、私たちが易経を開くとき、実際に何を読んでいるのでしょうか?その答えを探るために、時を遡ってみましょう。
原初の種
商王朝の甲骨文字
書物が存在するずっと前、紀元前1600年頃から1046年頃の商王朝時代、人々は亀の甲羅や牛の骨に熱を加え、割れ目を読み取って祖先や神々からの答えを求めていました。
これはまだ易経ではありません。しかし、中国文化が古くから定められた方法で指針を求めてきたことを示しています。これが後の易経の基盤となりました。
周王朝の数符
易経の六十四卦の直接の祖先は、紀元前1046年頃から256年頃の周王朝にさかのぼります。これはまだ文章ではなく、数字や記号の形でした。
研究者たちは青銅器や竹簡にこれらの初期形態を発見しています:
- 単純な数字:一、五、六、七、八、九などの数字が占いに使われ、陰陽や変爻の基本概念を表していました。
- 数字の組み合わせ:これらの数字が組み合わさり、六十四卦の初期形態を形成しました。それぞれの組み合わせが特定の結果を意味していました。
- 図像的記号:やがてこれらの数字の組み合わせは、現在私たちが知る積み重なった線の形に変化しました。多くの場合、文字は伴いませんでした。
重要なのは、六十四卦という構造自体は、現在知られる文章が書かれるずっと前から存在していたということです。
過去の一瞬
2200年前の図書館
私たちの探求は20世紀最大の発見の一つへと飛びます。1970年代、中国の馬王堆で発掘された墓には、西漢時代の完璧に保存された図書館がありました。
最も重要な168年紀元前に封印された墓からは、多くの絹や竹簡の文献が見つかりました。その中には、ほぼ完全な形の易経、ここでは周易と呼ばれるものが含まれていました。
歴史の書き換え
この2200年前の版本は、易経が時代とともに変化してきたことを証明しています。私たちが今日読む書物とは同一ではありません。違いは小さいながらも重要で、標準化される前の理解の様子を示しています。
直接比較すると、漢代においてもテキストがまだ変化し続けていたことがわかります。
特徴 | 馬王堆絹本(紀元前168年頃) | 伝本(王弼、226-249年頃) | 意義 |
---|---|---|---|
卦の順序 | 異なる、標準的でないと思われる配列。 | おなじみの文王の配列。 | 現在の標準順序がまだ普及していなかったことを示唆。 |
卦の名称 | 一部の名称が異なる(例:乾は键、坤は川)。 | 現在使われている標準名称。 | 音韻の変化や卦の概念の違いを反映。 |
本文内容 | 判断や爻辞の表現に違いがある。 | 標準化された哲学的解釈。 | 地域や学派によって解釈が流動的であったことを示す。 |
注釈 | 繫辞伝(大伝)を含むが異なる形態。 | 十翼は通常本文から分離される。 | 注釈がいつどのように書物の不可欠な部分となったか疑問を投げかける。 |
これらの違いが示すもの
馬王堆のテキストは、易経伝統の貴重な古い一断面ですが、純粋な意味での「原典」ではありません。
むしろ、それはテキストの流れの一つの枝を示しています。易経の原典は一つの固定された書物ではなく、多様な版が存在し、それぞれが影響力を競い合う生きた伝統だったことを証明しています。
古典の成立
王弼とは誰か?
私たちの旅は次に、易経を1800年以上にわたり形作った卓越した学者の心へと進みます。三国時代の天才、王弼(226–249年)です。
混乱の時代に生きた王弼は、「玄学」運動のリーダーでした。彼らは老子、荘子、易経などの古典を深く読み解き、より深い意味を探求しました。
哲学的傑作
王弼は大きな課題に取り組みました。周易を編集し、その核心を解説する注釈を書き上げたのです。当時の複雑な数字や星、呪術的な体系に埋もれていたテキストを、彼は一掃しました。
彼は易経を深い哲学書として捉え、道教の思想を用いて、六十四卦をすべての変化を支配する自然法則の象徴として説明しました。
一つの版の正典化
王弼の注釈と編集版は明快かつ深遠で、すぐに標準となりました。彼の仕事は帝国の学者たちに採用され、公式のテキストとなりました。
この版は後のほとんどの中国の注釈の基礎となり、リヒャルト・ヴィルヘルムの有名なドイツ語訳の元となりました。さらにそれはケアリー・F・ベインズによって英訳されました。
私たちが手にする易経は、王弼の3世紀の哲学的再解釈の直系の子孫です。それは確かな力を持ちますが、彼の特定の視点を通して見られています。
原典の再定義
古いものが良いのか?
この歴史は一つの疑問を投げかけます。馬王堆のテキストは古いからこそ、王弼のテキストよりも「本物」や「優れている」と言えるのでしょうか?
答えは単純ではありません。王弼の哲学的層を単なる変質と見るのは易経の持続力の本質を見誤っています。彼の仕事は歪曲ではなく、深い進化でした。易経を単なる占い書から時代を超えた知恵の書へと成長させたのです。
時代を超えた対話
易経は世代を超えた対話と見ることができます。初期の周の人々が核心の記号と判断を加え、後の儒教に結びつく学者たちが十翼の道徳的層を付け加えました。王弼のような思想家はさらに深みを加えました。
今日私たちが易経を使うとき、それは単なる古代の占いではありません。三千年にわたる変化、戦略、道徳、そして現実の本質についての対話に参加しているのです。この歴史を知ることで、読みはより豊かになり、テキストの多様な声を聞き取ることができます。
文字よりも精神を
結局のところ、「真の」易経の原典を探すことは本質を見失うかもしれません。真の原典とは言葉の集合ではなく、その背後にある体系、すなわち六十四卦の優美なパターンと陰陽の動的原理なのです。
言葉はこの時代を超えた構造に対する人間の輝かしく変化する解釈に過ぎません。
大河を渡る
翻訳を選ぶ
この歴史的な認識は、今日の易経の読み方を導きます。どの版を選ぶかは、どのテキストの流れに足を踏み入れるかを選ぶことに他なりません。
ヴィルヘルム/ベインズ版やリチャード・ジョン・リン版など、人気のある英訳の多くは王弼のテキストに基づいています。これは決して悪いことではなく、哲学的古典としてのテキストを使っていることを意味します。
より古い版に興味がある方は、エドワード・ショーネシーのような馬王堆テキストの翻訳を比較してみると興味深いでしょう。
- 哲学的な深みを求めるなら:伝本の良い翻訳から始めましょう。易経の世界的影響の基盤です。
- 歴史的研究には:伝本の翻訳と馬王堆写本に基づく翻訳を比較し、変化を自分の目で確かめましょう。
- 序文を確認:良い翻訳者は必ず出典テキストと翻訳方針を明示します。これが最も重要な指針です。
歴史を感じて読む
この知識を持って、私たちは「歴史の耳」で易経を読むことができます。
単純な爻辞を読むときは、その起源が周王朝の実用的な占いの符号であったことを想像してください。十翼の一節を読むときは、初期儒学者たちが道徳と宇宙を考えた声を聞きましょう。王弼の思想が反映された翻訳を読むときは、繊細な道教哲学が織り込まれていることを味わいましょう。
結論:途切れない糸
私たちの旅は、古代の骨に刻まれた数字から2200年前の絹の写本、そして3世紀の哲学者の輝かしい頭脳へと続きました。彼が何千年もの古典を定義したのです。
易経の原典を一つに絞って探すよりも、その動的で多層的な生きた歴史を味わうことの方が価値があります。
易経の絶え間ない価値は、この進化そのものに由来します。三千年もの間生き続けてきたのは、決して静的な遺物ではなく、生きた知恵の大河であり、世代ごとに新たな声が流れに加わり続けているからなのです。
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